アルゼンチン・タンゴに革命を起こしたアストル・ピアソラ。
20世紀で最高の作曲家のひとりと評され、タンゴの枠を超えて世界中で演奏されるピアソラの音楽はどこから産まれたのか。
没後25周年となる2017年に母国アルゼンチンで開催された回顧展にあわせ、彼の功績と家族の絆を紡いだドキュメンタリーが制作された。
本作では、8mmフィルムで撮影された家族の日常や趣味の鮫釣りの映像を始め、ピアソラの自伝を執筆した娘のディアナが録音した彼へのインタビュー音声など、未公開の素材を選りすぐり、けんかっ早くてお茶目なピアソラのもうひとつの素顔に迫る。
アルゼンチンからニューヨークへ幼少期に移住し、音楽愛好家だった父が買い与えた楽器がバンドネオンだった。
彼の人生においてニューヨークは、バンドネオン奏者としての礎となり、重要な場所のひとつと言える。
本ドキュメンタリーの中でも、ソール・ライターの写真が登場し、ピアソラの人生と並行して彼の地で生きた人々が映し出されているのもみどころのひとつとなっている。
アーティストとして父親として葛藤するアストル・ピアソラの闘いを挑んだ男の生き様、命を削るようにして作った名作を堪能する、傑作音楽ドキュメンタリーがここに誕生!
また、ピアソラに憧れ日本でバンドネオン奏者として活躍する三浦一馬が本作の広報大使を務める。
自身もキンテート(五重奏)編成のバンドを組み、ピアソラCD「LIBERTANGO」が10/24リリース
アルゼンチンタンゴの革命児、アストル・ピアソラについて描かれたこのドキュメンタリー映画は、マニアックなジャンルだと感じた。
タンゴと言えば、ダンスシーンを期待していたが、この映画では踊りよりも音楽について語られることがメインだった。もともとその知識がないので、ピアソラ氏がいかに新しいタンゴを生み出したのか、従来のそれと比べ、どれほど異なる音楽だったのかという違いが認識できない自分が残念だった。
しかしながら、三世代にわたる家族の愛の物語という視点で捉えるならば、普遍性がある。ピアソラや彼をとりまく家族のストーリーに惹きつけられた。
アルゼンチンに生まれたピアソラは幼い頃、両親の決断でニューヨークに引っ越すが、その時点で、彼の両親は非常に冒険的な生き方をしていたと感じる。そんな親の影響を受けてか、ピアソラ自身も少年時代からドラマあふれるエピソードが満載である。
ニューヨークの貧しいエリアで暮らす彼らの生活は決して楽なものではなかった。ピアソラの両親は違法なことで生計を立てていた。ピアソラもその父親も喧嘩早く、父の教えは「殴られる前に殴れ」というものだったという。先に手を出せば勝てるという、いわゆる先手必勝ということだろうか。
彼の父親はピアソラの才能を信じ、楽器を与え音楽を習わせた。天才と謳われるピアソラ本人はインタビューで自分に才能などなかったと述べていた。父が信じてくれたから、父のために弾くのが幸せだったと語っている。
子育て中の自分には響くメッセージであった。信じることは強い愛と信頼があってこその、怖れのない行為だと感じる。口癖のように不安や心配を口にする人が多いけれど、信じることの力を知らないからだと思う。
自分も子供達について心配を口にしようとすれば、いくらでも並べられるが、それは役に立たないことを知っている。むしろ彼らに幸せに生きる力があることを信じて疑わない、そんな親でありたいと思う。
親の愛情に恵まれたピアソラは大胆で勇敢で、次々に人生を切り開いてゆくストーリーは成功者そのものである。そんな彼は子供達からも愛され憧れられる父親でもあった。
彼の娘は父の伝記を書きたがったし、息子は父と演奏することが幸せだった。父に憧れ崇拝する子供達だった。それゆえの衝突や確執ある時代のエピソードも興味深い。
破天荒で革命的なアーティストの生き様は人の心を惹きつけるものだ。この世を去った後もなおその人柄を語られ、その作品は愛され続けている。偉大な仕事である。
「ピアソラ 永遠のリベルタンゴ」
12月1日(土)より シアターキノ他全国順次ロードショー
監督:ダニエル・ローゼンフェルド 出演:アストル・ピアソラほか
2017/フランス・アルゼンチン/英語・フランス語・スペイン語/カラー(一部モノクロ)/94分 /
配給:東北新社 クラシカ・ジャパン
国際共同製作:クラシカ・ジャパン/後援:アルゼンチン共和国大使館